真珠の街・神戸
欧米の需要で成長した養殖真珠
養殖真珠ができた当時(昭和3年頃)は真珠はまだまだ日本国内市場では高級すぎ普及しませんでした。
その為作られた真珠のほとんどは神戸港からヨーロッパ、アメリカへと輸出されました。
養殖真珠によって欧米の真珠の需要は一気にひろがりました。
貿易と自然の光が産んだ“真珠の街・神戸”
真珠輸出の増加により、三重県、四国、九州などの真珠養殖場から地理的に一番近い国際貿易港の神戸港に自然と日本中の真珠が集まるようになりました。
その為、選別・穴あけ・連組みなどの真珠加工業者が神戸北野町付近を中心に発展しました。
北野町付近は真珠選別に適した北光線を六甲山をバックに安定して得られました。
戦後の真珠の街・神戸
順調に発展した神戸の真珠産業も第二次世界大戦中は世界市場から孤立し厳しい状態を余儀なくされました。
戦後海外への輸出が再開された真珠は政府間貿易という管理貿易体制のもとに外貨獲得の重要な役割をはたしました。
昭和24年以降民間貿易が再開されてからは、駐留軍やその家族がアメリカに持ち帰る日本のお土産としての真珠が良い宣伝となり、真珠の輸出はいっそう盛んになりました。
真珠の街・神戸の今
このように現在では日本の真珠の加工・流通の約80%を神戸で取り扱っており、神戸は世界一の真珠の街となったのです。
イースターやクリスマスなどの海外の休日前は多くの海外のバイヤーさんが神戸を訪れます。
阪神淡路大震災の時被災し、一時市外へ避難した企業もありましたが、ほぼ100%神戸に戻ってきました。